【見ることができる】と【見える】の違いとは?例文付きで使い方や意味をわかりやすく解説

見ることができると見えるの分かりやすい違い
見ることができると見えるは、どちらも視覚に関する表現ですが、能動性が異なります。
見ることができるは「展望台から富士山を見ることができる」のように、条件や能力があれば見られる可能性を表します。見えるは「窓から海が見える」のように、自然に視界に入る状態を表します。
日常では、意識的な行動は「見ることができる」、無意識的な知覚は「見える」を使います。
見ることができるとは?
見ることができるとは、視覚的に認識する能力や可能性があることを表す表現です。「美術館で名画を見ることができる」「望遠鏡で星を見ることができる」のように、特定の条件(場所、時間、道具など)が揃えば見られることを示します。意志と行動を伴う能動的な表現です。
この表現は、機会や許可、能力などの要素を含んでいます。「営業時間内なら見ることができる」「チケットがあれば見ることができる」など、何らかの条件付きで視覚的体験が可能になることを表します。また、「やっと見ることができた」のように、努力や待機の末に実現した喜びも表現できます。
日常会話では、観光、イベント、展示など、特別な機会に関連して使われることが多く、単に物理的に見えるだけでなく、その機会を得られることの価値も含んでいます。可能性と機会を表す重要な表現です。
見ることができるの例文
- ( 1 ) このチケットで、コンサートを最前列で見ることができます。
- ( 2 ) 天気が良ければ、展望台から富士山を見ることができるそうです。
- ( 3 ) 予約をすれば、工場見学で製造過程を見ることができます。
- ( 4 ) 美術館では、普段見ることができない貴重な作品が展示されています。
- ( 5 ) 早起きすれば、美しい日の出を見ることができますよ。
- ( 6 ) ガイドツアーに参加すると、一般公開されていない場所も見ることができます。
見ることができるの会話例
見えるとは?
見えるとは、対象が自然に視界に入り、視覚的に認識される状態を表す動詞です。「山が見える」「星が見える」のように、特別な努力をしなくても自然に目に入ってくる様子を表します。受動的で、意識しなくても起こる視覚現象を指します。
この表現は、視力や視界の状態も表します。「よく見える」「ぼんやり見える」など、見え方の質を表現したり、「〜に見える」という形で、外見から受ける印象を表すこともできます。また、「見えない」という否定形で、視界を遮るものがある状態も表現します。
見えるは日本語の基本的な知覚動詞で、物理的な視覚だけでなく、「先が見える」「希望が見える」のように、抽象的な認識や理解を表す比喩的な使い方もあります。自然で直接的な視覚体験を表す最も一般的な表現です。
見えるの例文
- ( 1 ) ここからは、きれいな夜景が見えますね。
- ( 2 ) メガネをかけたら、黒板の字がはっきり見えるようになりました。
- ( 3 ) 霧が晴れて、遠くの山々が見えてきました。
- ( 4 ) この窓からは、隣の家の庭が見えてしまいます。
- ( 5 ) 暗くなってきて、道がよく見えないので気をつけてください。
- ( 6 ) 彼の表情から、喜んでいるのが見えました。
見えるの会話例
見ることができると見えるの違いまとめ
見ることができると見えるの最大の違いは、能動性と受動性です。前者は意識的な可能性、後者は自然な知覚を表します。
日常生活では、努力や条件が必要な場合は「見ることができる」、自然に目に入る場合は「見える」を使い分けます。
この区別を理解することで、状況に応じた適切な表現を選べるようになります。
見ることができると見えるの読み方
- 見ることができる(ひらがな):みることができる
- 見ることができる(ローマ字):mirukotogadekiru
- 見える(ひらがな):みえる
- 見える(ローマ字):mieru